小学校から中学校に上がるときに 兄から さんざん英語は目いっぱい勉強しないとだめやと聞かされていた。心の中で 今まで習ったローマ字とどう違うのだろうか なんていう疑問を抱きながら中学になった。山間地の中学のため今ばやりの塾などというものはなく もっぱらら地を野口座で勉強していた。3年になった時に英語会話担当が 松本亨先生。それから3年後 上京した際にまず初めに先生のお家にお邪魔して言われた言葉が「田舎から出てきたら びっくりするかもしれないが ひるむことなく まー 東京タワーの上に登って 東京を見下ろしてみることから始めたらいい」というもので この言葉に励まされその後4年間を東京で過ごし 少しも治らない金沢弁で過ごした。この期間で 唯一 お金をかけたものが この ナイトスクール。戦後 捕虜になって 獄中に 小生などが悪戦苦闘した 解析概論 の じっくり勉強した自衛官がいたり 東京のど真ん中の 都会同級生がいて 英語の上達に格段の差をつけられたのを覚えている。学校では 日本語禁止 そのうち 本当に電車の中の会話が英語に聞こえてくるのが不思議。こんな書状をもらったことすら忘れていたが 田舎に帰った時に 父が 大事そうに返してくれた。懐かしい思い出。